ラベル ことば の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ことば の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

水哉寮のこと、工藤さんのこと。

実は今日、気仙沼に行っているはずだったのだが、カゼをこじらせてしまった。

いま被災地では人手が不足している。義援金や物資もあって助かるのはもちろんだけれど、現地でのニーズは日々変化していて、いつ届くかわからないお金よりも人海戦術による町の復旧が焦眉の急だと思う。だから適当な時間をみつけては、出来るだけ足を運ぶことにしている。「お悔やみ申し上げます」「がんばろう日本」なんてコピーは、いまや企業の免罪符のようになってしまった。


(報道されない現場ほど、多くの事実を物語っている)




そんなことを考えていたら、自分が大学生だったころのことを思い出した。



当時、貧乏だったぼくは、そりゃもう頑張って勉強した。それでなんとか国立大には合格したものの、通うには遠く、下宿するには金もない。ハテどうしたものかと悩んだ挙句、大学の学生寮に入ることにした。

そこは「水哉寮」という名前の学生寮で、びっくりするくらい年季の入った建物だった。壁によりかかると服は真っ白くなる。夏になると小豆くらいの虫が、どこからともなくワサワサわいてくる。部屋の窓からタヌキが見える。電話が一台しかなくて、着電の呼び出しが鳴っても、走って1分くらいかかる。風呂トイレ調理場に洗濯機は共同使用、2段ベッドで1部屋4人。でも家賃がとにかく安くて、八千円ほどだった。月額ではなくて、年間で八千円。



そこで管理人をしていたのが、工藤さんってオッチャンだった。


(数年前に綺麗に建て直された水哉寮。家賃も上がり、往年の面影はなくなった)



工藤さんはもの凄く背が低くて、150cmくらいしかなかったんじゃあないか。いつも薄汚れた感じの作業着にツバ付きの帽子をかぶった、日に焼けた、とても色黒な人だった。大きな眼鏡でニコニコしながら学生を送りだしていた。ゴミを集めたり、電話番をしたり、中庭を手入れしたり、自転車のパンクも直してくれたりした。スーパー管理人。ザ・働き者。そんなコピーがぴったりはまる、なんでもできる人。作業の合間に雑談をすることもあった。ニカッと笑ってタバコをよく吸う人だった。



ウン十年と大学生を見守ってきた工藤さんは、学生からも慕われていたはずだ。少なくともぼくは好きだった。ルーズを形にしたような大学生ばかりを毎日相手にしていたのに、怒りもしなかった。サービス業だから怒るなんてとんでもない、なんて言うのではなく、我慢の人だったのだと思う。小柄なわりにランニング姿になると筋骨隆々、ただでさえ多い顔中のシワも笑顔でくしゃくしゃになるのはしょっちゅうだったから。



工藤さんは謎の多い人だった。たしか独身だったか。でもひょっとしたら家族はいたのかもしれない。でもよくわからない。あまり自分のことを話す人ではなかった。



それでも、若い頃は遠洋漁業でほとんど日本にいなかった、というような話を聞いたことがある。漁業ではなくタンカーだったかもしれない。他にもいろいろな話をしたと思うが、よく覚えていない。苦労ばかりではあったけれど、人生の奥深さを大学生にそっと教えてくれるような、そんな話だったのではないか。そのダミ声から、タバコの脂で黄ばんだ歯、赤い帽子まではっきり思い出せる、そんな人だったんだもの。



(年度末になると、水哉寮に植わった紅梅と白梅が入学者を迎える)



3年生くらいの頃だったと思う。工藤さんが管理人を辞めることになった。定年退職だった。
当時、副寮長を務めていたぼくは、委員会の席で「なにかできないか」と発案した。みんな、めんどくさそうな感じで、なかなか意見がでなかった。しばらくして誰かが、餞別にプレゼントをしよう、と言った。するとみんな賛成した。役に立つものか好きなものがいいだろう、お酒が好きだったから一升瓶のセットはどうだろう、となった。定年祝いってことにもなるし、まさにグッドチョイス。それしかないような気がした。



それから1ヵ月後のことである。
定期総会の席上で、ある学生が「工藤さんが退職して」と発言した。

「先日、管理人の工藤さんが定年退職して、一応、水哉寮からは餞別としてお酒と寸志が贈られたそうですが、ちょっとぼくら何人かで工藤さん誘って飲みにいったんですね。個人的にですけど。そこで工藤さんはこんなこと言ってたんです。せっかく頂いたけれどモノだけというのは寂しかった、あれだけ学生のために長いこと働いてきたのにこれなのか、こうやって食事に誘ってくれることが本当に嬉しい、と。工藤さんはゴミ出しや雑用など、ずっと何十年もやってくれてました。どういう気持ちだったのか考えてみてください。ぼくが言いたいのはそれだけです」



感謝の気持ちをあらわすのに、いろいろな形があっていいと思う。
けれど、その中心となる相手の目線からブレてはいけない。

たぶん委員会での僕らは、「感謝の気持ちを表すためにプレゼントする」というよりも、「プレゼントをすれば感謝の気持ちを表すことができる」という考えにシフトしてしまったのだ。



(ボランティアの手が回らず、放置されたままの家屋)



卒業してから工藤さんに会うことはもうない。


どうか今も健在であってほしいと思う。

相変わらず、ぷかぷかとタバコを吹かしていてほしいと思う。

そして時には、あのニカッとした笑顔を、どこかで見せてくれていればいいのだが。




今から十年以上も昔の話である。

うつくしきもの Life is beautiful

人は生まれ、いつか必ず死ぬ。
We are born to die someday.

それなら何故、何の為に生きているのだろう。
Why are we alive?


立派な仕事をするため?
For the great work,

さまざまな経験をするため?
To experience various,

たくさんの人と出会い、愛する人を見つけるため?
To meet someone, someone to love,

自分の足跡を残し、後世に何かを伝えるため?
To leave something for the future,

それとも理由なんてない?
Or is there no reason?


生きている意味は人それぞれ違うだろう。
Everyone will be different for each meaning of life.

大切なのは自分の生き方を探し続け、自分が何をしたいのか行動し続けることだ。
Keep on looking for my life, I want to continue to act or what you are doing.



そのときそのときで人生は変わる。
One day life will change.

いったい自分は何処へ向かおうとしているのだろう。
I wonder where are you going.






若い頃、上へ上へと挑みたがる自分がいた。
When young, I wanted to top Go to top.




そのためには孤高でいることも、目標への近道だと思っていた。
I thought it a shortcut to the goal is to become independent.




けれど、他人が自分のことをどう思っているのか本当は気になっていた。
To tell the truth, I wonder that there are other people think about me.




ときには大切なものを守る為に、勇気を奮い立たせて立ち向かうこともあった。
Sometimes I fight to protect something precious.




待っているだけでは何も変わらないことに、なかなか気づかなかったんだ。
Just waiting to be no different, it took some time to understand.




やりきれなくて心が折れかけたこともある。
I was so discouraged sometimes lost.





自分の道は曲がりくねっている。
Life is a winding road.

だから、ずっといつまでも、人生をまっすぐ見つめる眼差しを持ち続けていたい。
So I want to face life straight forever.

震災以前、震災以降

震災前のねこまきのテーマは、格差でした。職業格差や雇用形態のあり方、貧富をめぐる問題、教育格差と情報格差、それから都市と地方の関係について、違和感を持ち、そのことを渦中から表明していました。




格差は、便所のよごれみたいなものでした。便器にこびりついてしまっていて、流し落すのがなかなか難しい。だれもが目に見えていたけれど、関わるのは厄介だし、できれば見過ごしたい。よごれは仕方ないものだし、隣の便器をつかえばよいと考えれば都合が良かった。頭のよいひとの中には落し方を教えるひともいましたが、教える人と便器を洗う人は大概ちがったので上手くいきませんでした。



今ふりかえると「対話」が決定的に不足していたのかもしれません。議論ではなく、対話。「持てる者」と「持たざる者」とが膝を交え、相手に敬意を払い、丁寧で思慮深い対話をすること。もしかすると相手の意見は正しいかもしれない、相手の方が賢いのかもしれない、という姿勢をもつこと。一度きりで結論づけるのではなく、何度も対話すること。対峙するのではなく、視線をそろえ、同じ方向をみつめること。






これまでにも格差を巡る議論はあったけれど、そのほとんどが噛み合っていませんでした。その理由は単純で、自分の立場から物事を論じているだけだったからだと思います。別の言い方をすれば、相手の立場にたって論じる能力が欠けていたから。



「持てる者」にとって「持たざる者」との対話は難しいものです。往々にして「持てる者」はディベート型の議論になってしまうし、自説を主張し、論破し、スキームを組み上げ、結論を打ち出す。この明快な手法を「持てる者」は実践し経験してきたのが現在に繋がっているので、経験則で正しいと感じてしまうきらいがある。



一方で「持たざる者」は、その経験則が当てはまっていません。社会や企業システムの構造的な犠牲者という見方が強く、打開策が見いだせない現状進行形とも相まって、同情論を訴えるような姿に見えてしまった。つまり「持てる者」はソフトの資質を論じ、「持たざる者」はハードの資質を論じるものだから、最後まで平行線をたどっていく。そして「持てる者」は「格差は甘えだ」となり、「持たざる者」は「話しても無駄だ」と諦めてしまう。





脳科学者の茂木健一郎さんが自身のブログで興味深いことを書いています。


ぼくは次第に、社会の中で意味のわからないシステムや組織が存続し続けている理由は、悪意よりもむしろ単純に「できない」のだと考えるようになった。記者クラブに頼る記者は、それ以外のやり方を知らないのである。ペーパーテストだけに頼る大学入試は、それ以外の手段を尽くす方法もリソースもないのである。新卒一括採用を続ける企業は、それ以外の採用の仕方を知らないし、できないのである。



これは震災以降も続いている日本の古くさいシステムについて述べているのだけれど、さらに茂木さんは「変化のためには、結局は、個々人がスキルを上げるしかない。そう思い至った時、ぼくは大乗から小乗になった」と一人一人が努力することを説きます。平凡な結論が、ずしりと重く伝わってきます。



原発事故を含め、あらゆる場所が論壇となり、みんなが論者となって、未曾有の災害の前では旧来のシステムが頼りにならないことがわかりました。日本の産業と東京の豊かさは、東北の低廉な労働力に支えられていたことに気づかされました。東北の漁村や農村を支えていたのは、過疎化していく高齢者世帯だったことを知りました。グローバリゼーションの中で欧米やアジア製品と戦っていたのは、東京ではなく、むしろ東北地方だったのです。



経済や社会システムにできることがあり、できないことがある。自分が手に入れているものは、誰かの犠牲のうえに成り立っている場合がある。それらに違和感を抱くとき、今ある豊かさというものは老朽化した近代の延長線でしかないことに気づきます。一個人として「自立」することが近代日本のテーマでもあったけれど、他者がいるから自分がいるとして「他立」していくこともまた、現代日本には必要なテーマなのではないでしょうか。


「がんばれニッポン」という上から目線ではなく、「がんばろうニッポン」という共有目線の言葉がいま日本全体に広がっていることが雄弁に物語っています。

ねこまきニッポン昔ばなし

むかしむかし、あるところに おじいさんとおばあさんが すんでいました。


おじいさんは 山へ しばかりに





おばあさんは 川へ せんたくに行きました




おばあさんが 川でせんたくをしていると、

大きなものが ドンブラコ ドンブラコ と流れてきました


「そうだ 今日の夕飯はこれにしよう」

おばあさんは それをひろいあげて 家に持ち帰りました。



おじいさんとおばあさんが 夕飯に食べようと切ってみると

なんと 中から げんきのよい こどもが飛び出してきました。

ポポポポーン




こどもは「ねこまき」と名づけられ、スクスク育って、やがてイケメンになりました。





ある日のことです。 ねこまきがいいました。


「おじいさんおばあさん、ねこまきは鬼ヶ島の悪い鬼たちを退治してきます」


それを聞いたおばあさんは


「これを持って行きなさい。きっと旅のおともに役立ちます」

といって きびだんごをわたしました。




旅のとちゅうで ねこまきは



イヌや






サルや






キジをおともにし、



はるか鬼ヶ島へと向かうのでした。





鬼たちは近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、酒盛りのまっさいちゅう。


「わっはっは。じゃまするやつは、ようしゃしないぞ」



思わずひるんだ ねこまきは おともに意見をもとめました。



すると おとものイヌがこういうのです。


「自己と他者の二項対立でとらえた競争社会はもう時代遅れです。リベラリズムの名の下に過度な資本主義が現代にもたらしたのは格差とラットレースでした。今わたしたちに求められているのは、世代を超え、地域を超え、文化を超えた世界市民としてのコミュニタリアニズムの構築です。私たちが望むものは、もはやここにはありません。思考をシフトし、人間が人間たり得るところに行くべきでしょう」




ねこまきはイヌの意見を採用しました。 つねにボトムアップ型なのです。





鬼ヶ島を去り、辿り着いた被災の現場は360°のガレキの山が広がります。

それはもう、どこから手をつければいいのか見当つかぬものでした。






しかし現地の人たちは たくましく、一つ一つガレキをかきわけます。

5年か10年か、復興までかなりの時間を要することは間違いありません。



都心部のマスコミや偉い人たちは、いち早く日常性を取り戻して経済を循環させることが肝要だといいます。しかし、窮乏状態にありながらモノを譲り合いシェアしている被災地がある一方で、企業存続のために限られたパイを必死に奪い合う経済活動が同じ日本で同時期に行なわれているということに、なんだかとても奇妙な感じがするねこまきは、口がもうあんぐりです。

(もうあんぐり)

もひとつ笑顔がふえますように。

ジャラララ〜ン♪ 

東北地方太平洋沖地震でめちゃめちゃになった部屋をかたづけながら、
猫巻が歌をつくりました。玉栄政昭さんのオマージュです。聴いてください。





『せつやくのうた』 作詞:ねこまき 作曲:あなた

 
1、
  おそうじをしています たおれた本棚なおしてます
  おそうじをしています おでかけやめて外食やめて

  ガソリンつかわず自転車で 手回しラジオにきりかえて
  浮いたおかねを募金です タンスの奥から千円でます

  じっとじっとがまんして あなたと一つをはんぶんこ

  もひとつ笑顔がふえますように だれかの命がつながるように
  もひとつ笑顔がふえますように おそうじしながら願ってます



2、
  ひと助けしたいです 道路も電車もとまってます
  水道電気もとまってます コンビニいっても何もない

  夜はロウソクつけまして 朝は早くに起きまして
  いつもの顔で準備です かえってくる人まってます

  ずっとずっとみまもって わたしの一つをゆずります

  もひとつ笑顔がふえますように だれかの命がつながるように
  もひとつ笑顔がふえますように 準備をしながら願ってます


  涙をはんぶんもらいましょう  笑顔をふたりでわけましょう


  もひとつ笑顔がふえますように だれかの命がつながるように
  もひとつ笑顔がふえますように おそうじしながら願ってます

  もひとつ笑顔がふえますように みんなの希望がつながるように
  もひとつ笑顔がふえますように おそうじしながら願ってます





震災3日目を迎え、いまだ余震は続くものの、猫巻の地域はひとまず落ち着きました。
動向を冷静に見守り、ささいなことでも自分に何かできないか考えていきたいですね。

まわれ右して、前へすすめ!

美しい思想がある。
ガツンと、頭を殴られたような感覚であった。


猫巻はそのころ、北欧雑貨やデザイン小物が好きで、けっこう集めてた。

洋服も好きだった。
国内ではモノづくりにこだわったブランドが好きだったし
ネットで海外から取り寄せたりすることも多かった。


そんな猫巻を どれだけ意識していたか知らないが、
当時つきあっていた恋人ときたら、ファッションに頓着が無い。
しまむら等でテキトーにそろえて、同じ服を何年も着回していた。
日本に観光でくる欧米人、Tシャツとデニムだけ、みたいな感じ。


部屋も 質素なもので、デスク周りにPCとコンポがあるだけ。
本もほとんどない。図書館で借りて読むからだそうだ。


女の子なんだからさ、もうちょっとオシャレしてもいいんじゃない?
 と、わたしが言うと、彼女はこういった。


 「大切なものはスーツケース一杯に入る荷物だけにしたいの」


 「これ一つで、いつでもどこにでも行けるようにしたいから」


このコトバに、わたしはガツンと頭を殴られたような気分だった。


わたしたちは たくさん稼いで、たくさん欲しいものを買うけれど
それが本当に必要で、本当に大切なものか、よくわからない。
わからなくって、不安になるから またそろえてしまう。

わたしたちの生活は タシザンの連続だ。
あれ買って、これ買って、また買って。でも満足しない。
あれ読んで、これ知って、また聞いて。でも物足りない。
増えて、増やして、それが幸せへの近道と考えている。

彼女の思想は美しい。ヒキザンの思想である。
あれいらない、これいらない、もうじゅうぶん。
そうやって身の回りものを捨てていって、大切なものだけを残した。
彼女は自分に必要なものをわかっていた。

旅行の好きな女性だった。
ひょっとすると、自分の周りに何もおかなかったのは
外に出れば何でもあるってことを知っていたからなんじゃないだろうか。
そういう意味で、自由な人であったと思う。


今でもたまに連絡をとる。
今年の夏はドイツ~スイス~フランスに行ってきたそうだ。
暑中見舞いにユングフラウの絵はがきが贈られてきた。


猫巻は彼女のように なれないだろうけれど
ときどき、今の生活から まわれ右してみたくなる。


積み上げたものを全部ほっぽりだして、駆け出してみたい。

その先に何があるのかわからないから
もう一回 まわれ右して、元に戻ってしまうんだけれど。

おー! ウンコ!!

うちには介護レベル4になる、ばあちゃんが住んでいる。
食事はもちろん、移動もトイレも一人じゃあ
なにひとつ出来ないのだ。

毎朝ばあちゃんにトイレさせるのは、父と母の日課。
猫巻と弟が、それをサポートする。

なにしろ、ばあちゃんは60kg超もある、おでぶばあちゃんなのだ。


トイレは狭い。二人はいると、もういっぱい。
ばあちゃんをトイレまで運ぶ猫巻と弟。
後ろから腋の下に、ぐいっと腕をとおし、ガーーーっと入り口まで運ぶ。
そこからは親父とおふくろにバトンタッチ。
夜中に溜まったオムツを、新しいものに履き替えさせる。



いつもはそれでおしまいなのだが、その日は違った。



履き替えそうとオムツを外した瞬間に、あたたかい感触。
ばあちゃんがウンコを漏らしてきたのだ。衝撃のウンコ垂れ流し。


とつぜんのことに親父が叫んだ


  「おー! ウンコ!!」


ショックなことはわかっているが、
親父の身に何が起きているか気づいているのだが、
 みんなゲラゲラ笑い出す。

猫巻も弟も、オムツを手に取るおふくろも
しまいには、ばあちゃんまでニヤニヤ笑い出した。

おー! ウンコ!




おかしいことなど何もないのだろうけれど、ときどきコトバは魔力をもつ。


考えてみると、私たちの周りはウンコばっかりだ。


 予定のない休日に、
  「おー!ウンコ!」

 期待はずれのランチメニューに、
  「おー!ウンコ!」

 今日中に仕上げろという上司の命令に、
  「おー!ウンコ!」 

 話を合わせないと仲間はずれにされる関係に、
  「おー!ウンコ!」

 彼氏との予定があるからという友達のメールに、
  「おー!ウンコ!」

 うまくいかなかった昨日に、
  「おー!ウンコ!」



子供たちは頭がいいから知っている。
つまらないとき「ウンコ!」「チンコ!」と叫べば、笑いとばせるってことを。


めんどうくさくて、やりきれないことを切り抜けるコトバ。

くそったれな毎日よ、 おー! ウンコ!!

株式会社 鳩山内閣

 前の職場に、一度も選挙にいったことがないパートさんがいました。20代半ばで二児のママ。ちょっとのんびりしたところがあって、明るい笑顔のママさんでした。その頃はちょうど「政権交代」というコトバが飛び交っていたときだったので、一回くらい行ってみたら?と、選挙や政治のことをざっくばらんに話してあげました。

 説明しながら、やっぱり日本の政治はわかりづらいよなあ、としみじみと思います。まして、選挙に行きたくなるように魅力的に話そうとしても、その魅力がみつからない。政権交代とマニフェストあたりで説明したものの、結局「選挙は義務だからね」てなコトバで落ち着いてしまいました。投票にいくとQUOカードが貰える、とかやればきっと投票率はあがるんだろうけれど。


 そこで「株式会社」として考えてみるという名案を思いつきました。


 日本という会社を経営する社長が内閣総理大臣。内閣が執行役員。国民は株主であり顧客。「株式=投票券」とみたてれば、投票した国民は株主なのである。株主なんだから会社の経営に文句だって言うのである。リターンだって求めるのである。会社は経営目標を遵守達成しなくっちゃいけない。

 そう考えてみると「株式会社 麻生内閣」の失脚は目に見えていた。麻生社長に経営者の素質が疑われていたんだもの。そうして自民党グループから民主党グループへと経営譲渡された。

 「株式会社 鳩山内閣」の白眉は”事業仕分け課”の仕事であった。グループ企業の公益法人というやつを、蓮舫主任を中心とする事業仕分け課がバサバサ切り倒した。公益法人という子会社の実態を株主の前にあかるみにしてくれた。だって会社は赤字経営なんだもの。株主からしてみれば不採算経営の子会社なんていらないんである。放漫経営にTKCもびっくりなのである。

 ところが、鳩山社長と小沢会長が辞職した。鳩山社長が「沖縄には飛行場つくりませんよ」と株主や消費者に約束していたにも関わらず、やっぱムリでした、っていうんだもの。これはアメリカグループのオバマ社長との契約をとってしまったからなのだろう。まあ、社長は会長のいいなりだったっていうし、会長もよくわからないカネを使ってたし、トップが無能だと会社はよくならないものね。
 個人的にいわせてもらえば会社経営は3~4年目で軌道にのればいいほうだし、株主もちょっと焦り過ぎの感もあると思う。株式会社小泉内閣の小泉社長の在任期間が長かったのを考えれば、そう思うのだけれど。


 そんなこんなで次の社長が誰になるか気になるところ。サラリーマンのみなさん、帰りにいっぱい飲みながら「株式会社○○内閣」を自分の会社と照らし合わせてみてはいかが?

2つのクラウン


仕事先で、クラウンの意味を聞かれて、はて?と思った。
クラウンって、英単語のクラウンです。


クラウンの日本語での意味は、もちろん「王冠」を指します。
おそらく高級車のトヨタ・クラウンもこの意味をなぞっています。


そんなことを、つらつら話していたら
「じゃあ、ピエロをクラウンっていうのはどうしてなんですか」 と聞かれました。

ムムム、じつによい質問であった。




「王冠」を指すときのクラウンは、CROWN と書きます。

また、「道化師」もクラウンっていいます。 CLOWN  と書きます。

似た発音なんですが、”R”と”L”でスペルが違うんですね。
ちなみに日本で道化師をさす時につかうピエロという言葉は、PIERROT フランス語です。



どちらのクラウンが先に成立したのか、猫巻は言語学者ではないのでわかりませんが、
意味合い的に中世頃までにはできた言葉だと考えられます。

封建制をしいた中世ヨーロッパにおいて、
王冠(CROWN)はピラミッドの頂点に立つ権力者が身に着けるものだからです。
一方で、そういった主従関係をとびこえられる存在にあったのが道化師(CLOWN)でした。
君主に向かって唯一、自由にものをいうことができたといわれています。
その当時、道化師は人であるが人にあらず、で、権力者の持ち物とされていました。
宮廷道化師(JESTER)という言葉が英語にあるように、ペットよろしく飼われていたということです。


似た響きを持つ言葉なのに、まったくの正反対の意味合いをもっています。

そう考えると、このクラウンという単語は、示唆に富んだ言葉であるといえますね。



そんなことを思いながら、
『裸の王様』って童話は奥深い内容してたんだな、と猫巻は気付くのでした☆

足し算の速解術

加法暗算は上の位から計算していくと速い、ということを知りました。
小学校では「1くりあがって・・・」とかいいながら下の位から計算するよう習ったものですが。


それではみなさま、紙とペンをご用意ください。
なんでもいいので適当な数(カーナンバーとか)を2種類書き出して計算してみましょう。


ここでは例として、今日の日付(7/8/26)と、現在の時間(21:07)をつかってみます。


7826 +  2107 
 

上の桁から計算してみてください。



合計は9933です。 合っていましたか?


ポイントは、
同じ位の計算をするとき、ひとつ下の位をチラ見して繰り上がりの有無を見るところです。
2つの足し算の場合、繰り上がりは絶対に1しかありません。
下の位が繰り上がる、と判断できれば、計算中の数をプラス1すればいいわけです。


(千の位) 7+2 = 9
(百の位) 8+1 = 9
(十の位) 2+0 = 2 (→繰り上がるので 3 )
(一の位) 6+7 = 13 (→1が消えて 3 )

となります。



桁数が合わない場合も同様です。

たとえば、今年の西暦(2007)と年号(19)で計算してみると、

(千の位) 2
(百の位) 0
(十の位) 0+1 = 1 (→繰り上がるので 2 )
(一の位) 7+9 = 16 (→1が消えて 6 )

となります。計算しないところはそのままでOKなのです。


この考え方はそろばんの考え方と同じだそうです。
ちまたで広がりつつある珠算ブーム、なんだか便乗した形になってしまった今日の猫巻でした☆