震災以前、震災以降

震災前のねこまきのテーマは、格差でした。職業格差や雇用形態のあり方、貧富をめぐる問題、教育格差と情報格差、それから都市と地方の関係について、違和感を持ち、そのことを渦中から表明していました。




格差は、便所のよごれみたいなものでした。便器にこびりついてしまっていて、流し落すのがなかなか難しい。だれもが目に見えていたけれど、関わるのは厄介だし、できれば見過ごしたい。よごれは仕方ないものだし、隣の便器をつかえばよいと考えれば都合が良かった。頭のよいひとの中には落し方を教えるひともいましたが、教える人と便器を洗う人は大概ちがったので上手くいきませんでした。



今ふりかえると「対話」が決定的に不足していたのかもしれません。議論ではなく、対話。「持てる者」と「持たざる者」とが膝を交え、相手に敬意を払い、丁寧で思慮深い対話をすること。もしかすると相手の意見は正しいかもしれない、相手の方が賢いのかもしれない、という姿勢をもつこと。一度きりで結論づけるのではなく、何度も対話すること。対峙するのではなく、視線をそろえ、同じ方向をみつめること。






これまでにも格差を巡る議論はあったけれど、そのほとんどが噛み合っていませんでした。その理由は単純で、自分の立場から物事を論じているだけだったからだと思います。別の言い方をすれば、相手の立場にたって論じる能力が欠けていたから。



「持てる者」にとって「持たざる者」との対話は難しいものです。往々にして「持てる者」はディベート型の議論になってしまうし、自説を主張し、論破し、スキームを組み上げ、結論を打ち出す。この明快な手法を「持てる者」は実践し経験してきたのが現在に繋がっているので、経験則で正しいと感じてしまうきらいがある。



一方で「持たざる者」は、その経験則が当てはまっていません。社会や企業システムの構造的な犠牲者という見方が強く、打開策が見いだせない現状進行形とも相まって、同情論を訴えるような姿に見えてしまった。つまり「持てる者」はソフトの資質を論じ、「持たざる者」はハードの資質を論じるものだから、最後まで平行線をたどっていく。そして「持てる者」は「格差は甘えだ」となり、「持たざる者」は「話しても無駄だ」と諦めてしまう。





脳科学者の茂木健一郎さんが自身のブログで興味深いことを書いています。


ぼくは次第に、社会の中で意味のわからないシステムや組織が存続し続けている理由は、悪意よりもむしろ単純に「できない」のだと考えるようになった。記者クラブに頼る記者は、それ以外のやり方を知らないのである。ペーパーテストだけに頼る大学入試は、それ以外の手段を尽くす方法もリソースもないのである。新卒一括採用を続ける企業は、それ以外の採用の仕方を知らないし、できないのである。



これは震災以降も続いている日本の古くさいシステムについて述べているのだけれど、さらに茂木さんは「変化のためには、結局は、個々人がスキルを上げるしかない。そう思い至った時、ぼくは大乗から小乗になった」と一人一人が努力することを説きます。平凡な結論が、ずしりと重く伝わってきます。



原発事故を含め、あらゆる場所が論壇となり、みんなが論者となって、未曾有の災害の前では旧来のシステムが頼りにならないことがわかりました。日本の産業と東京の豊かさは、東北の低廉な労働力に支えられていたことに気づかされました。東北の漁村や農村を支えていたのは、過疎化していく高齢者世帯だったことを知りました。グローバリゼーションの中で欧米やアジア製品と戦っていたのは、東京ではなく、むしろ東北地方だったのです。



経済や社会システムにできることがあり、できないことがある。自分が手に入れているものは、誰かの犠牲のうえに成り立っている場合がある。それらに違和感を抱くとき、今ある豊かさというものは老朽化した近代の延長線でしかないことに気づきます。一個人として「自立」することが近代日本のテーマでもあったけれど、他者がいるから自分がいるとして「他立」していくこともまた、現代日本には必要なテーマなのではないでしょうか。


「がんばれニッポン」という上から目線ではなく、「がんばろうニッポン」という共有目線の言葉がいま日本全体に広がっていることが雄弁に物語っています。